マナまなBeeの先生ってどんな人?②〜オーストラリアでのワーキングホリデー〜
マナまなBeeでは、どんな人が日本語を教えてくれるのか。先生をご紹介している「マナまなBeeの先生ってどんな人?」シリーズ。
引き続き、代表Hitomiのお話です。大学生になって、オーストラリアでのワーキングホリデーへと旅立った後、どんな経験が待ち受けていたのでしょう。
<前回の記事はコチラから。合わせてご覧ください!>
オーストラリアで自分の語学力をためす
オーストラリアで滞在したのは、シドニーやメルボルンといった有名な都市ではなく、パースという西オーストラリア州の州都です。自分の語学力で海外生活を生き抜けるのかをきちんと確かめたかったので、大都市ほど遊ぶ場所がなく、日本語も通じない場所を選びました。「日本語は喋らない!」。そう心に決めて、現地で知り合った日本人とも英語でやりとりしました。英語に自信はなくても、度胸はあったんですよね。日本からオーストラリアまでの飛行機でも、隣り合わせたオーストラリアのおじいちゃんとずっと話していました。なんの話題か聞き取れない部分も多々あったのに、最後には「いつでもウチに遊びにおいでよ!」と誘ってもらえて嬉しかったです。(笑)
現地の外国人向けの英語学校に入学し、英語の基礎から学ぶクラスに在籍。先生は全員ネイティブスピーカーで、学生はいろいろな国の留学生が混ざっていました。午前に3時間ほど学び、午後は郊外のツアーなどへ行く。そんなカリキュラムで3ヶ月ほど学びました。実は、オーストラリアに着いてすぐ、学校のテニス大会でアキレス腱を切ってしまい、かなりバタバタしたんです(汗)でも、学校やホームステイ先での生活も、友達と遊びに出かけるプライベートな時間も満喫していました。
ワーキングホリデーの中盤には、英語学校のカリキュラムを終え、ホームステイ先も出て一人暮らしを始めました。私が考えていたのは「日本語教師がしたい」ということ。わたしがオーストラリアに滞在していた頃、多くの小中学校で第二言語として日本語が教えられていました。けれど、指導しているのは、専門分野が異なるオーストラリア人の先生(例えば、ちゃんと日本語を勉強したことのない理科の先生が、急に担当になってしまった!みたいなケースもよくありました)。無理して教えている先生をサポートするために日本人のアシスタントの募集が出されることがありました。
小中学校での日本語のサポートはボランティアがほとんどですが、この役割がやりたくてオーストラリアに渡る日本人も多くいるんです。私もなんとか関わることができないかなと考えていたところ、自分でも意外なところからご縁がつながります(続く)